願望は、意思より強い
月曜の朝は、毎週全社メッセージを用意して、エネルギー値高い状態で週をスタートするように準備しているが、全体的に士気が低い状況だったので、若干困惑しながらメッセージした。妻も腹痛だったし、季節柄こういう日もあるかな。とはいえ、自分の温度が変わることはない。今年、つまり今期も営業日は3週間を切っている。ここでソフトランディングになるか、ストロングフィニッシュでさらに温度を上げられるか。自分にできることをやるだけだ。
日中はAIと議論しながら、直近の講演やプレゼンテーション資料をつくっていた。AIとつくると、デザインまでそれなりにカッコイイものがつくられるが、微調整しづらい仕上がりになってしまう。AIでめちゃくちゃ仕事のスピードが上がるが、最後の最後の調整に時間がかかってしまうのは本質的ではないようにも感じる。むしろ思考の質をさらに深めるために使うのが良い。最後の調整がしやすいワークフロー、自分の中でAIに頼る部分の落とし所のルールをつくっておくと良さそうだ。
夜、子どもたちがゲームの取り合いや時間枠で口論になっていた。子どもたちがお互いでの良いコミュニケーションの技術を身につけるまでにはまだまだ時間がかかりそうだなと思ったし、自分が見せるしかないよなと思うのだが、自分もつい感情的になってしまうこともあり、冷静に理論的になると高圧的になっている自分も居る。人間関係構築は、いつも難しい。
ところで、最近「願望は、意思より強い」という言葉が気になっている。というよりも、ようやく腑に落ち始めた。と同時に、自分の願望の源泉が「しなきゃいけない」という責任感にあるような気もしてきている。幼少期からいつもそうだったように思う。「勉強ができる以上、テストで良い点をとらなきゃいけない」「大企業社員である以上、責任を果たさなければいけない」「力をもつエンジニアである以上」「社長である以上」「父親である以上」自分はいつもこうして、自分の行動を奮い立たせてきた。そこに「〇〇したい」という願望がなかったかというと、それはそうでもない。どこか「〇〇である以上、〇〇を果たしたい。〇〇ができるようになりたい」という願望を意識してきたのだ。
この願望は、自分の率直なものなのだろうか。それとも、義務感からくる「しなければいけない」なのだろうか。
努力は夢中に勝てない。本能と理性、願望と責任感、ここをどのようにアップデートしていけばよいのか、自分の中で思考を深める時期にきているのかもしれない。